着物専門店「丸や呉服店」着物専門店「丸や呉服店」

12月1日(月)〜6日(土) 栗山工房・紬展

 

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◇◆◇[能No.2]◇◆◇

内に秘め・・・思いを舞いによって表す「能」

時代劇で観ることの多い「能」は、私たちになにを・・・

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武士として、ひとつのたしなみだったのでしょうか・・・。

戦いの前、喜びを表して・・・「能」を舞っていた私たちの祖先。

今回は、先週に引き続き楽しいですよ〜「能」をお届けします。

前回は、世阿弥の登場までお話いたしましたね。室町時代の話でした。

室町時代後期には、「手猿楽」と呼ばれる素人の能役者が、京都などで大いに活躍

し、町人にも広く愛されるようになっていった「能」。しかし、応仁の乱が起こる

と幕府の弱体化や寺院の衰退によって大きな打撃を受け、一部の一般大衆と、有

名な大名を頼って地方に下る能役者が続出していったのです。

中でも好意的だったのが、織田信長でした・・・

信長と能に関して有名なお話は2つありますね。

桶狭間の戦い・・・西暦 1560年6月12日に行われた合戦。

2万5千の大群を引き連れ終わりに侵攻した駿河の戦国大名今川義元に対し、信長

は 10分の1ほどの軍勢で本陣を強襲し、討ち取った有名な戦いです。

「人間五十年、化天の内を比ぶれば、夢幻の如くなり …」

この文句をお聞きになった方は多いはずでしょう。 幸若舞(こうわかまい)の「敦

盛」 の一節です。 5月19日未明清洲城出陣に際し、幸若舞いの「敦盛の舞」を舞

い、馬上の人となった信長は、清洲を出るときは、わずか二百人ほどしか従わな

かったが、熱田神宮に戦勝祈願の参拝をしたころは、千人余りとなり、合戦のと

きには軍勢三千人ほどになった・・・という有名な話です。

「敦盛」とは、平家の平敦盛のこと。平経盛の末子で平清盛の甥。官職にはつい

ていなかったので、無官大夫と言われていた人です。平安時代の末期の治承・寿

永の乱(源平合戦)で有名な一ノ谷の戦いで、敦盛は熊谷直実に討たれた。享年

16。その後直実は出家したそうです。ちょっと余談でした・・・

幸若舞とは、福岡線みやま市瀬高街大江に伝わる重要無形民俗文化財の民俗芸能

のこと。日本最古の舞楽で、能や舞の原型といわれています。

そして、もう一つは、本能寺の変の少し前、西暦 1582年5月半ばのお話です。

色々な戦いを経て着々と「天下布武」の四文字を実現しつつあった信長。完遂まであと

わずか、というときに、ずっと協力してきてくれた家康を安土城に招待することに。ご

自慢の安土城に呼んで、幸若舞や能を観たりご飯食べたりして楽しんでもらおう、と思

ったときのお話です。

家康は三河から出てきて安土城に数日間滞在し、ご馳走になったり幸若舞や能を観たり

したあと、堺へ行きました。家康が堺に滞在中だった 6月1日の深夜、あの本能寺の変

は起こったのです。なんとも・・・感慨深いお話です。

豊臣秀吉は、信長よりも更に熱狂的な愛好家でした。

秀吉は金春流に師事し、好んで能を舞ってみせた他、多くの座のうちから、大和

猿楽四座を保護・育成する制度を確立し、諸国の猿楽座を四座に編入・統合しま

した。以来、能役者は、社寺の手を離れ、武家の支配を受けるようになったので

す。また、絢爛豪華な桃山文化のもとで装束も一段と豪華になったほか、能舞台

の様式が確立され、現在使用される能面の型もほぼ出揃いました。室町期の流動

的な状態がようやく終わりを告げ、この時代は能楽にとって大きな転換期となっ

たのでした。

江戸時代になると、徳川幕府も秀吉の制度を踏襲。大和猿楽四座は、幕府が直接支配す

ることとなり、能を保護する体制が確立します。地方の有力諸藩も幕府にならって、四

座一流の弟子筋の役者を召し抱え、能は武士回収が独占する芸能へとなっていったので

す。

幕府や諸藩は、保護者であり、厳しい監督者でもあったとか。しばしば通達を出して技

芸の練磨と伝統の正確な継承を要求。「能」は次第に重々しさを増し、 1曲の所要時間も

長く、気力と体力を要求される芸質へと変わっていきました。

そして迎えた明治維新。保護者をなくした能役者たちは、大きな危機を迎えます。後継

者をなくし、廃業・転業せざるを得なかった苦しい時代でした。しかし、外国の芸術保

護策に影響された新政府や皇室・皇族・華族・新興財閥によって保護され、後援により

息を吹き返します。

舞台と客席が1つ屋根の下で被う新しい形の専門劇場が完成したのもこの時代です。現

在の能楽堂の形です。

大正・昭和・・・と黄金期を迎えた「能」。第二次世界大戦では、存亡の危機見舞われま

すが、再び、再興。現在に至っています。

重々しさの中に凝縮された魂を感じる舞い「能」。歴史の中で舞い続けられた「能」。少

しだけ、「能」に対する意識が変わったような気がします。もっともっと、「能」を観て

勉強していきたい・・・そう思っています。

皆様も機会がございましたら、是非お出かけ下さいね。

◇◆◇ [能]といえば何を思い出しますか ◇◆◇

「能」といえば、初めて観にいったときのことを思い出します。みなさんも突然静かに

始まる「能」に違和感を覚えた〜・・・なんて思ったことありませんか?

私は、お恥ずかしいのですが、突然始まった「能」にびっくりした〜が最初の印象だっ

たのです。幕がある演劇しか観たことがなかった私にとっては、何もかもが初めて尽く

し・・・でした。

先日、ある方とお話させていただいたのですが、歌舞伎は楽屋に入って顔をつくってい

るときから、段々に役に入っていくのだそうですが、「能」の場合には、家を出るときか

ら・・・いえいえ、朝起きたときから、その役になっていく・・・のだそうです。それ

だけ、精神統一が必要だとか・・・

そのため、公演の日数も歌舞伎とは違って、 1日とか2日でなければ、体がもたないのだ

そうです。確かに、「能」の舞台を観させていただくと、静かな動き・・・

ときには、じ〜っと動かないこともあります。少ない動きの中に全身全霊を込め、表現

する・・・喜怒哀楽は最小限、笑い声や泣き声はありません。少し顔を傾げる、手を動

かす、そんな仕草で表現しなければいけないのですから、集中力はいかなるものか・・・

と思ってしまします。

微妙な動きの中で、私たち観客が何を感じ、何を思うか、心で伝えていく「能」には、

計り知れない力が込められているのかもしれません。

私も、少しずつ、そんな「能」のエネルギーを感じに出かけたいと思います。「能」の楽

しさを感じに・・・

 

 

 

   

   

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