着物専門店「丸や呉服店」着物専門店「丸や呉服店」

12月1日(月)〜6日(土) 栗山工房・紬展

 

きもの丸やのトップへ戻る

日本古来の行事や文化、伝統、風物など 日常の中にそこはかとなく感じる「和の心」を
メールマガジンを通してご紹介しております。 是非、ご愛読ください。
バックナンバーはこちらから

きもの丸やWebShop

きもの丸やWebShop

着物丸やトップページ


丸やオススメ今週の着物と帯
今週の着物と帯


着物丸やの着物周り

着物の知識

着物のお仕立て

着物の着付け

着物のお手入れ

着物リメイク

きもの丸やの紹介

着物リンク集

厳選リンク集

着物ebook

QRコードから簡単アクセス対応機種をお持ちの方は バードコードを読み取るだけで簡単にアクセスできます
※ご利用頂けない機種もございます


管理人のプロフィール
店長

きもの丸やお問い合わせ

 

 

 

 

----------------------------------------------------------------------

◇◆◇[能No.1]◇◆◇

日本の伝統芸能でありながら、遠くの存在「能」

本当は、日本の心を表しているのに・・・

----------------------------------------------------------------------

今でこそ、日本の伝統芸能を取り入れるようになった小学校の音楽。

なかなか「能」を観る機会に恵まれずにいたことと思います。

今回は、楽しさをもっと知って〜「能」をお届けします。

能楽という言葉を聞いたことがあると思いますが、能楽は、「能」と「狂言」の二

つを合わせたこと名称です。

「能」は、「幽玄(ゆうげん)」という言葉で表されます。 中世の芸能における美

的理念のひとつ。 優雅で柔和な美しさ、美女・美少年などの優美さや、また、寂 (さ)

びた優美さをいいます。

歴史や古典文学を題材とし、歌と舞を中心に構成されています。主役である演者

が能面をかけて演じる点に特色があります。演じられるものは、事件ではなく、

人間の運命を描くことを主題としています。

「能」の始まりは、奈良時代。その頃、大陸より渡ってきた芸能のひとつに「散

楽」(さんがく)」という民間芸能がありました。器楽・歌謡・舞踊・物まね・曲

芸・・・など、色々な芸は、 雅楽寮に 「散楽戸」 がおかれ、朝廷によって保護さ

れる芸能となりました。西暦 752年の東大寺大仏開眼供養法会には、他の芸能と

ともに散楽が奉納されました。しかし、庶民性が強く、猥雑なため、西暦 782年

にこの制度は廃止されたのでした。

廃止された後、宮中では宴席で余興的に行われるようになったのですが、朝廷の

保護を外れたことによって、散楽は寺社や該当などで自由に演じられるようにな

り、庶民の目にも触れるようになっていったのです。やがて都で見た地方出身者

によって日本各地に広まり、芸を続けていたのでした。

この頃、「散楽」という中国の言葉も日本風に「猿楽(さるがく:申楽とも)」と

呼ばれるようになり、内容も滑稽な物まねが中心となっていきます。のちに物ま

ねから脱皮し、様々な世相をとらえて風刺するお笑いのセリフ劇として発展。そ

して「狂言」へ引き継がれていきます。

また、農民の民俗から発展した「田楽」は、大寺の密教的行法から生まれた「呪

師芸」などの芸もさかんに行われ、お互いに影響しあっていたのです。

鎌倉時代中頃には、猿楽の集団も寺社公認のもと「座」の体制を組み、当時流行

していた「今様」「白拍子」などの歌舞的要素をとりいれた楽劇を作り上げ、やが

て、物語的要素の色濃い楽劇と笑いの狂言を取り混ぜる形式ができたのです。

この頃、庶民信仰に結びついた「翁猿楽(現在の翁)」を演じる座が近畿地方を拠

点に幅広い活動を行っています。お正月に舞う「翁」の原型が「翁猿楽」です。

14世紀後半、いわゆる南北朝時代、田楽や猿楽の座が寄贈委合う中、奈良の興福

寺が支配する大和猿楽四座(後の観世・室生・金春・金剛座)の一つ、結崎(観

世)座の初代の統率者(大夫)であった観阿弥(かんあみ)が現れます。

観阿弥は、将軍足利義満の支援を得て、大和猿楽の伝統である物まね主体の強い

芸風に田楽や近江猿楽などの歌舞伎的要素を取り入れ、芸術的に高め、当時流行

していた曲舞(くせまい)のリズムを融合させるなど音楽面での改革も行い、大

いに発展させた人物です。

そして、その偉業を受け継ぎ、今日まで伝わる「能」の技術生を確立したのが、

子の世阿弥(ぜあみ)です。世阿弥は 12歳の時、京都で観世父子が演じた「能」

を将軍足利義満が見物。以後、義満はこの父子に絶大なる支援を与えるようにな

り、猿楽の「能」はようやく田楽と肩を並べる地位を占めることとなりました。

世阿弥は、観客の好尚に素早く対応、先人や同世代の名手の長所を取り入れ、観

阿弥以来の物まね主体の芸を、幽芸を理想とする歌舞主体の芸に磨き上げたので

した。作者・演出家・役者であり、舞台の魅力としての「華」を得るための方法

論を多く著述に残したほどの天才だったのです。

こうして、「能」と「狂言」を交互に演じる舞台が確立したのでした。

朝廷に、人々に、将軍に守られてきた「能」。長い歴史の中、浮き沈みがあったに

してもこれだけの寵愛をうけるのは、魅力があるからこそ。歴史が証明していま

すね。さて、次回は、さらに寵愛を受け、発展していった「能」、そして苦悩の日々

を迎える「能」をお届けいたします。

お楽しみに!

◇◆◇ [能]といえば何を思い出しますか ◇◆◇

「能」といえば、今までに何回見に行ったことがあるでしょうか・・・

初めて「能」を見たのは、社会人になってからのこと。確か、「薪能」であったと

思います。春先の夜。とても寒かったために内容はほとんど覚えておらず、「能」

とは静かに始まって静かに終わるものなのだな〜という印象だけでした。

それから、何回か機会があって観に行ってはいたのですが、途中の狂言のほうが

わかりやすかったからでしょうか・・・いつの間にか、狂言だけの会に出かける

ようになってしまっていました。

私が「能」に対して興味を持ち始めたのは、ごく最近のこと。もう何回か、皆様

にもお話しております、「能」と「歌舞伎」の二態を観てからのことです。そのき

っかけは、お誘いいただいたから・・・という理由からだけではありません。こ

のところ続いて見ていた大河ドラマの影響が始まりです。織田信長や豊臣秀吉の

時代、事あるごとに「能」が舞われ、また平安時代から鎌倉時代にかけても「義

経」には舞うシーンが多かったので、自然とどうしてこういう場面にこの「能」

を舞うのか・・・と疑問に感じるようになったからなのです。

人間て不思議なものですね。あんなにつまらないと思っていた「能」を違った観

点から興味を持ち、再度観てみたい・・・と思うのですから。

そんな理由で、観に行った「能と歌舞伎・二態」。本当にこの対比が面白く、また

「能」を理解する(まだ初心者なのでおこがましいですが)きっかけを与えてい

ただいたのです。

つい先日も、京都で「片山信吾」さんが開催しております「結の会」のひとつ、「片

山信吾さんと中村芝雀さんの会」にて、「能」の面白さを実感して参りました。前

回の二態では「勧進帳と安宅」でしたが、今回は、「京鹿の子娘道成寺」。私は、「能」

に関して全くの初心者ですから「道成寺」が「能」の舞いにあることすら知らず、

その違いや舞い方、表現の仕方・・・等々、お話を交えて教えていただいたので、

本当に勉強になりました。お二人の張り詰めた真剣勝負(舞)もすばらしかった

ですが・・・。

そのとき、片山さんがお話なさっていたことの中に「日本には沢山の伝統芸能が

あります。伝統芸能は、始まりがひとつあって、派生していったものなのですが、

世界にこれだけの伝統芸能が一国に存在することはないことなのです。」との解説。

そういえば、「この話、どこかで聞いたことがある・・・観たことがある。」と思

うこと多いですよね。

散楽のうちの物真似芸を起源とする猿楽は「能」へと発展。曲芸的な要素の一部

は、「歌舞伎」へ、そして滑稽芸は「狂言」へ引き継がれ、人形を使った諸芸は傀

儡(くぐつ)となり、やがて人形浄瑠璃(文楽)へと引き継がれていきました・・・

つながりがあると思えば、難しく考えることもなくなり、また、新たな興味が湧

いてくるような気がします。

どんなことがきっかけでも、ほんの少しでも日本の伝統芸能に興味を持つ人が増

えていったら、うれしいです。日本には、いっぱいの楽しみがあるのですもの。

ご興味をお持ちになられたら、是非お出かけ下さいね。

 

 

 

   

   

ページの上へ戻る                                                      着物丸やトップへ戻る

お問合せ 販売法表記 規約 ご注文の流れ リンク集

Copyright(c)2004-7 着物専門店「丸や呉服店」 All Right Reserved