日本古来の行事や文化、伝統、風物など 日常の中にそこはかとなく感じる「和の心」を |
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---------------------------------------------------------------------- ◇◆◇[柿右衛門]◇◆◇ 「柿右衛門」、その名を聞いて思い出すものは・・・ エッ・・・知らない?なんて言わない下さいね! ---------------------------------------------------------------------- 「柿右衛門」の名を知ったのはいつだったかしら・・・。 何気なく見かけていたり、使っていたり・・・していませんか? 今回は、日本の美意識を再確認、「柿右衛門」をお届けします。 「柿右衛門」とは、伊万里焼の様式の名称。伊万里焼は、佐賀県の有田で作られ ている焼き物で、有田焼ともいいます。伊万里焼は、海沿いの伊万里に輸送して から国内外に搬出されたために呼ばれるようになりました。 伊万里焼は、磁器。 日本では縄文時代から陶器が作られていたのですが、なかなか磁器を作ることが できませんでした。秀吉の時代、磁器に適した陶土が発見され、朝鮮征伐によっ て陶磁器の製造技術が輸入されました。秀吉は、陶工を多数日本に連れてきたと のこと。そしてようやく江戸時代になって磁器が日本で作られるようになったの です。その地が有田・・・というわけ。 柿右衛門 → http://www.kimono-maruya.com/mv/?96 ちょっと余談ですが、陶器と磁器の違いをご説明しますと、磁器は陶器よりガラ ス質になっていて、陶器はガラス質の逆で、粘土質になっています。 その違いは、ガラス質になるほど、素地が水を吸いにくくなり、ガラスが素地の 中の穴の連結を閉ざすようになることです。磁器は、ほとんど吸水率が0%で、 陶器は、 10%近く吸水率を持つ事もあります。そして、陶器素地は、穴ぼこだら け。ガラス量が少ないので光を通しません。磁器は、半分以上がガラス質になっ ているので光を通します。また、焼きしまっているので叩くとチンチンと澄んだ 音がします。ご参考まで。 さて、話を戻します。 現在、「柿右衛門」と呼ばれている焼き物は、正式名称「酒井田柿右衛門(さかい だかきえもん)」といい、江戸時代、肥前国(佐賀県)有田の陶芸家、および代々 その子孫(後継者)が襲名している名称です。 「柿右衛門」が有名なのは、白磁の焼き物に柿のような赤色を出すことに成功し たからです。現在では、赤の絵付けの焼き物を多く見かけますが、その当時(安 土桃山時代)、世界唯一の白磁の産地は中国の景徳鎮(けいとくちん)でコバルト 系の染付けをしていました。有田でも当初は、それに倣って藍色のコバルト系の 絵具で単色の図柄を白磁に描いていたそうです(初期伊万里)。やがて、西暦 1640 年頃色付が出来るようになったといわれています。(古九谷) ちょうどその頃、良質な陶土が発見された佐賀県の有田に移住した酒井田円西(初 代)は、息子の喜三右衛門(二代目)と一緒に陶器や白磁、染付などの磁器を作 成していました。日本で初めての磁器ができたのが西暦 1616年のこと。それから 約 30年後に息子であった喜三右衛門が色絵磁器の焼成に成功したのです。 「柿右衛門」という名が有名になったのは、大正年代に入ってからのことです。 理研の創始者として知られる大河内正敏博士が「柿右衛門と色鍋島」という本を 出版され、陶工柿右衛門の苦心談が、国定教科書に掲載されたり、芝居(片岡仁 左衛門が大正元年に歌舞伎「名工柿右衛門」を初演)に上演されるようになって のこと。 終戦まで使われた国定国語教科書には、柿右衛門が夕日に輝く柿の赤を見て、何 とかこの色を磁器の上に実現したいと試行錯誤の艱難辛苦を経て遂に実現し、柿 右衛門と改名したとあります。時代が時代だったのでしょうか、この話はどうも 国威高揚・工夫奨励の創作美談らしいですが・・・ 「柿右衛門」の一番の特徴は、日本画の余白と同様、純白の地を広く残して想像 を誘い鮮烈な赤をアクセントとする色絵の磁器であることです。素地にもこだわ り、「濁手(にごしで)」と呼ばれる独特の乳白色の地色をしています。「濁(にご し)」とは、佐賀県辺りの方言で、米の研ぎ汁のことです。真っ白ではなく、温か みのある乳白色。この技術が完成したのが、 5代柿右衛門(西暦1660年〜1691年) の頃だそうです。しかし、その後、「濁手」は、原料の調達が難しくなり、製法も 複雑だったため、一旦歴史から姿を消したのです。 復活は昭和 28年のこと、12代、13代の時代です。現在、14代柿右衛門は、人間 国宝として活躍されています。日本から生まれた「柿右衛門の赤」。機会があった ら、是非ご覧になって下さいね。長い歴史の中で生き続けている赤色を・・ ◇◆◇ [柿右衛門]といえば何を思い出しますか ◇◆◇ 「柿右衛門」といえば、お恥ずかしいことですが・・・その名を知ったのは、社 会人になって何年もたってからのこと。焼き物といえば、何度かご紹介しており ますお茶のお稽古で勉強いたしました。 社会人になって、輸入食器を扱った仕事に就いたこともありましたが、「マイセン」 は知っていたものの、「柿右衛門」の名を聞くことはありませんでした。「マイセ ン?」と急に出て参りましたが、ヨーロッパの磁器に、非常に影響を与えたのが 「柿右衛門」であります。 日本に磁器が作られ始めてからまもなく、中国からヨーロッパへの磁器の輸出が 明から清に変わった混乱で途切れ、オランダ東印度会社は西暦 1659年から伊万里 焼を大量に買い付け、欧州で「 Imari」が有名になりました。 そして「伊万里焼」の中でも「柿右衛門の赤」は、景徳鎮に影響を与え、ヨーロ ッパに数多く輸出され、繊細で優美な作風がヨーロッパの王侯貴族を魅了したの です。また「柿右衛門」に魅了された、独ザクセン・アウグスト大王は白磁の国 産を命じ、西暦 1709年に東独マイセンで欧州最初の白磁が生まれることとなった のです。 当時のドイツのマイセン窯やフランスのシャンティ窯で「柿右衛門の赤」は、模 倣され、海外で「柿右衛門」が大絶賛された時期です。その他にも、イギリスで もオランダでも「柿右衛門」の影響により磁器の製作されるようになったのです から、その影響の大きさは驚くものがありますね。 しかし、 18世紀半ばになると中国の輸出が回復し、オランダ東印度会社は伊万里 焼の買い付けを停止してしまいます。以降有田焼は国内向けに指向していったそ うです。今では、国内でも高価な磁器として私は見るだけになっておりますが・・・ 多くの磁器が輸出された江戸時代、王侯貴族が競って収集した「柿右衛門」、英国 女王メアリー 2世やドイツのアウグスト1世らのコレクションも有名な話です。こ んなにも多くのファンがいた「柿右衛門」。日本で磁器が製作されるようになって、 わずか 30年で「柿右衛門の赤」が生まれ、今日もその美しさは変わることなく続 いているのです。 日本の技術のすばらしさ、色に対する意識、美に対する意識の高さを改めて感じ ます。多くの作品が現在は海外に輸出してしまったため、流出していますが、私 たちの祖先が生み出した焼き物であることには変わりはありません。 「柿右衛門」の美しさを誇りに、これからも伝えていきたいですね。
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