着物専門店「丸や呉服店」着物専門店「丸や呉服店」

12月1日(月)〜6日(土) 栗山工房・紬展

 

きもの丸やのトップへ戻る

日本古来の行事や文化、伝統、風物など 日常の中にそこはかとなく感じる「和の心」を
メールマガジンを通してご紹介しております。 是非、ご愛読ください。
バックナンバーはこちらから

きもの丸やWebShop

きもの丸やWebShop

着物丸やトップページ


丸やオススメ今週の着物と帯
今週の着物と帯


着物丸やの着物周り

着物の知識

着物のお仕立て

着物の着付け

着物のお手入れ

着物リメイク

きもの丸やの紹介

着物リンク集

厳選リンク集

着物ebook

QRコードから簡単アクセス対応機種をお持ちの方は バードコードを読み取るだけで簡単にアクセスできます
※ご利用頂けない機種もございます


管理人のプロフィール
店長

きもの丸やお問い合わせ

 

 

 

 

----------------------------------------------------------------------

◇◆◇[海苔No.1]◇◆◇

 日本の食卓の代表格「海苔」

 いつも食卓にあるからって・・・旬を忘れていませんか?

----------------------------------------------------------------------

日本人だったら大好きなはずの「海苔」

そして「海苔」には白いご飯が付きもの・・・ですよね〜

今回は、日本の海苔を守って〜、「海苔」を 2週に渡ってお届けします。

「海苔」という言葉がない時代、そう、とても昔から食べられていたと考えられ

ています。考えられていた・・・とは奥歯に物の挟まった言い方ですが、古代人

の遺跡、貝塚には海藻を食べていた・・・という痕跡がないのです。ただ、おそ

らく貝類とともに食べていただろうと一般的には考えられています。

歴史の最初に登場する「海苔」は、「常陸(ひたち)国風土記」の一文。

口語訳にて「 昔、倭武の天皇が海辺を巡幸して乗浜(のりはま)に至ったとき、

浜にはたくさんの海苔が干してあった。そのことから「のりはまの村」と名付け

られた。」と記録されています。倭武の天皇とは、ヤマトタケルのことです。

時代は変わり、大陸との交流が盛んになると、仏教が伝来。肉食を好まなくなっ

た飛鳥や奈良の人々は、食卓に栽培野菜や海の幸がのぼるようになります。この

頃、食べていた海藻の種類は 20種類以上。多くはニギメ(わかめ)やアラメ(と

ころてんや天草)、ムラサキノリ(海苔)など。

日本最古の法律、大宝律令(西暦 701年制定)によれば、朝廷に納める税金(調)

として「海苔」が定められていたとか。納める海藻は約 30種、海藻の種類によっ

て量も決まっていたとのこと。その中で「海苔」は最高級とされていました。

西暦 710年には平安京で海藻類を売る「にぎめ(海藻のこと)だな」という市場

や「海苔」や昆布を佃煮のように加工したものを売る「もはだな」という市場が

ありましたが、「海苔」は最高級品、やはり庶民には高嶺の花で、貴族のごちそう

だったようです。

また、西暦 927年に記された「延喜式」には、甘海苔(アマノリ)や紫海苔とい

った具体的な名前まで登場。海藻料理も記されており、佃煮や味噌汁の材料にな

っていたことが伺えます。

鎌倉時代になると、食文化は大きく変わります。これまでの朝廷の公家や貴族た

ちが贅を極めた食生活は改められ、武士の時代にふさわしく、質素倹約を旨とし

て精進料理が食の中心と変わったのでした。鎌倉幕府は伊豆に近かったこともあ

ってか、日本の伝統食材を使った精進料理には伊豆の名産品「海苔」は珍重され、

欠かせないものだったのです。また、「吾妻鏡」にも頼朝が 4回に渡って都に「海

苔」を献上したことが記されています。

室町時代になると、僧坊料理の中で「海苔」が認められるようになり、料理の後

の喫茶に時に必ず食べられる「茶の子(中華の点心のようなもの・お茶うけ)」と

して串かき、栗、結び昆布などと一緒に「海苔」も食べていたようです。

しかし、戦国時代になると、稀少価値の「海苔」は即席料理に向かず、あまり食

べられなくなります。

再び、脚光を浴びたのは、江戸時代にはいってからのこと。浅草海苔が誕生して

からです。その影には、なんと、徳川家康が「海苔好き」だったから・・・とい

う説があるとか。なんでも将軍家に新鮮な魚を献上しなければいけない品川の漁

民たちは不漁や天候によって献上できないことがないように、魚を活かしておく

生け簀を考えたのです。作り方は、粗朶(そだ)と呼ばれる枝付きの木や笹つき

の竹などを浅瀬にたて、ひび(柵の囲い)を作り、魚を確保するというもの。そ

のひびにある日、付着していたのが「海苔」だったというのです。やがて、この

ことがヒントとなり、品川や大森を中心として東京湾で「海苔」の養殖も始まっ

たのです。西暦 1717年のことでした。

そうなのです。それまでの「海苔」は、自然に採れたものだったのです。そのた

め、「海苔」は、一般的に「生海苔」や簡単に乾燥させたものでした。時代が前後

しますが、「海苔」をそのまま渇かしていた江戸中期から、浅草の再生紙の作り方

をヒントにした「すき製法」が誕生。「浅草海苔」として四角い「板海苔」が登場

すると江戸では「海苔巻き」が大流行したとか・・・現代版ファーストフードで

す。

徳川幕府の保護を受けた「海苔」の生産者、やがて全国にその製法が伝わってい

ったのです。

しかし・・・「養殖」とはいっても「海苔」の生態がわからなかった当時、種付け

作業は勘や経験によって行われたため、生産高はいつも不安定だったのでした。

この不明だった「海苔の生態」が判ったのは、なんと昭和 24年のこと。イギリス

のドリュー女史によって発見されたのでした。こうして、人工的な種付けの技術

が確立され、現在に至っているのです。

ずっと、ず〜っと前からあった「海苔」。現在の形になるまでに、こんなにも長い

時間がかかったとは知りませんでした。いつの時代にも「海苔」は日本人にとっ

て大好物であったことには変わりありませんが・・次回からは、「海苔」の重みを

感じつつ、いただくことにしま〜す!

◇◆◇ [海苔]といえば何を思い出しますか ◇◆◇

「海苔」といえば、白いご飯に醤油をちょっと付けて食べる「海苔」は最高!

お漬け物に味噌汁があれば完璧な朝ご飯。かつて、私の定番メニューでした。

もちろん、今でも好きなのですが、昔に比べて極端に白いご飯を食べる回数が減

ってしまい、我が家でも「海苔」の消費が激減しています。白いご飯の量が減っ

たのは、おかずの量が増えたから。白いご飯を中心だった食生活からおかず中心

の食生活へ・・・いつからそうなってしまったのか・・・???

それでも、無性にご飯が食べたくなると、やはり「海苔」も食べたくなります。

炊きたてのご飯には、「海苔」が合う・・・白いご飯はシンプルなおかずで十分。

ご飯の旨味を確かめながら・・・「海苔」のパリパリ感を味わいながら、ちょっと

お漬け物を箸休めに・・・

大げさに聞こえるかもしれませんが、ご飯に「海苔」を食べていると、日本人の

原点に戻っていくような気持ちになります。昔はそんなにおかずもなく、贅沢で

もなく、それでもしっかりご飯を食べていて元気で。本当は、それで十分なので

はないかと・・・。

質素倹約・・・なんて、鎌倉時代みたいですが・・・

江戸のファーストフード、「海苔巻き」も「海苔」が欠かせないのですもの・・・

時代、時代にあった料理方法で「海苔」を食べ続けていきたい・・・やはり「海

苔」は日本人の原点なのかもしませんね。

いつまでも、国内生産の「海苔」であるためにも・・・この続きは次回!

 

 

 

 

 

   

   

ページの上へ戻る                                                      着物丸やトップへ戻る

お問合せ 販売法表記 規約 ご注文の流れ リンク集

Copyright(c)2004-7 着物専門店「丸や呉服店」 All Right Reserved