着物専門店「丸や呉服店」着物専門店「丸や呉服店」

12月1日(月)〜6日(土) 栗山工房・紬展

 

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◇◆◇[鷺草]◇◆◇

「鷺草」という茶花を知っていますか?

 その美しさは夏にぴったりなのですよ!

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一目見たら、忘れないほど美しい白さを持っている「鷺草」

花にもこんな形をしたものがあるのかしら・・・と思うほど。

今回は、きっとあなたもほしくなる「鷺草」をお届けします。

 みなさんは、「鷺草」を見たことがありますか?

庭にありますか?ベランダにありますか?それともご近所で見かけますか?

 確認はこちら  → http://www.kimono-maruya.com/mv/?67

いかがでしたか?

本当に「白鷺」が飛んでいるような形をしているのにびっくりしませんか?

ご確認いただいたとおり、「白鷺」に似ていることから名が付いた「鷺草」。

実は、東京都・世田谷の区の花として指定されていることをご存じでしたか?

今日は、どうして世田谷区の花なのか・・・に迫りたいと思います。

 南北朝時代の中頃、足利氏の同族である吉良氏が、現在の世田谷区豪徳寺付近

に、世田谷城を築きました。吉良氏は、「忠臣蔵」で有名なかの「吉良上野介」

と祖を同じくする名門。西暦 1590 年「小田原の役」の時に戦わずして逃げてしま

って、秀吉に領地を没収されてしまうのですが、その後、江戸時代には高家(格

式の高い家・由緒正しい家柄)として幕府に使えるようになります。

さて、その南北朝時代中頃(室町時代)、世田谷から碑文谷郷一帯は、世田谷城の

城主八代目当主「吉良頼康」の支配下にありました。この「頼康」、周りがホトホ

ト手を焼く、我が儘な男。甘やかされて育ったのでしょう。小さい頃から「ほし

い」と思うものは何でも手に入れてきたという男。だから、「ほしい」と思ったら、

どんな手を使っても手に入れようとした・・・とんでもない男だったのです。

そんな男ですから、当主になってからは更に大変。自分が「いい女だ」と思った

ら、有無も言わせず、すぐに側室にしてしまっていたのです。あれよあれよとい

う間に側室も 12 名という有様。だから、娘を持つ親は、殿様には絶対に娘を会わ

せないよう、血眼になっていたのです。

しかし運悪く見初められてしまった美しい娘が、またその毒牙にかかってしまっ

たのです。その娘の名は「常磐姫」。歳は 17 歳か 18 歳。夢見るように美しく、立

ち振る舞いは武将の娘らしく誇らしく、今で言うステキな姫。奥沢城主「大平出

羽守(ではのかみ)」の娘でした。

「頼康」は、一目見るなり「あれこそ、わが妻にふさわしいおなご」と一言。

「頼康」に使える出羽守には断ることなどできず、泣く泣く娘を 13 番目の側室と

して差し出したのでした。

お輿入れの日、気の進まぬ常磐は、出羽守に「お願いがあります。あの白鷺を連

れて行きとうございます。」と懇願。出羽守は「鷺か。ああ、あれとは別れが辛か

ろう。その手で育ててきたのだからのう」と言って、頼康の承諾を得て、世田谷

城へ向かったのでした。

お輿入れをした後、頼康は常磐にべったり。何をするのも常磐ばかり。他の 12名

の側室には目もくれない・・・。まあなんと極端な殿様でしょう。他の側室が妬

まないはずがありません。嫉妬の目は全て常磐に向けられたのです。

身ごもった常磐に対し、「常盤様のお子は殿様のお子が疑わしい」と殿に告げ口。

なんとか殿様の愛情を妨げようとします。常磐の悪い噂を否定しつつも心の中に

疑念が生じ始めた殿様。

やがて、「奥沢城では、出羽守殿が謀反をたくらんでいるらしい。常磐様のお持ち

になられた白鷺を使って、頼康様の秘密をあちらへ漏らしているそうな」と、あ

りもしない噂を信じるまでに疑念は膨らんでしまったのでした。

こうなると、短気な殿様は大変です。噂をよく調べることもせず、怒り狂い「愚

か者め!恩を仇で返すのか〜ええい!かまわぬ、追い出せ!」と言って身重の常

磐を追い出してしまったのです。

白鷺とともに追い出されてしまった身重の常磐。

「ああ、どうしよう。この体で奥沢城へ戻っては父上にご迷惑がかかる・・・さ

りとて行く当てもない・・・」途方にくれる常磐に夕暮れが迫ります。

「もう死ぬしかない」と常磐は決断。抱えていた白鷺に右手の小指を傷つけ、吹

き出した血によって出羽守に別れの手紙をしたため、白鷺の足にその手紙を結び、

「さあ、行っておくれ」と放したのでした。

白鷺は、一度大きく輪を描き、奥沢城に向かって飛び立っていきました。それを

見届けた常磐は静かに短刀で胸を刺し、自害したのでした。

白鷺が、途中鷹狩りの鷹に襲われ、多摩川の川原に落ちて死んでしまったことも

知らずに・・・

やがて、白鷺が落ちた一帯には、白鷺、そのままの姿の花が咲き乱れるようにな

たとか。これが「鷺草」と呼ばれるようになったのでした。

世田谷区内では、大正時代末頃まで、現在の九品仏辺りに「鷺草」は自生してお

り、奥沢には「鷺の谷」、目黒区自由が丘には「鷺草谷」という地名があったそう

です。

何を隠そう、九品仏は奥沢城のあった所。現在も城のあった場所(浄真寺)の一

角には「鷺草園」があります。この伝説が真のことであった・・・という証かも

しれませんね。

お近くにお出かけの際にはお立ち寄り下さいね。

浄真寺 → http://www.kimono-maruya.com/mv/?68

 

◇◆◇ [鷺草]といえば何を思い出しますか ◇◆◇

 「鷺草」といえば、初めて見たときのことを思い出します。

私が初めて見たのは、お茶のお稽古で茶花として生けられていたとき。きれいな

花だなあ〜と眺めていた私に「この花の名前は、鷺草ですよ。鷺が飛んでいるよ

うにみえるでしょう。」と先生のお言葉。

花の名前と花自体がこんなにも一致するものがあるのでしょうか・・・と思った

私。それから、ずっと私は「鷺草」が大好きです。

何度か、茶花を扱う店で見かけた「鷺草」。良い状態の「鷺草」に出会ったら、育

てたいと秘かに思っています。

でもそんな「鷺草」にも絶滅に危機が・・・国のレッドデーターブックに記載さ

れているのです。

「鷺草」は、湿地地帯に生える花。かつて自由が丘の辺りも田んぼがあり、よく

生えていました。でも、今では、田んぼも無くなり、住宅街へ。他の場所でも同

じような現状なのだそうです。

可憐な花を咲かせる「鷺草」。今年も「鷺草」の季節になりました。今年こそ、庭

に「鷺草」の花を咲かせたい・・・と思います。

みなさんも近所で見つけたら、伝説を思い出してみてくださいね。

 

 

 

   

   

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