着物専門店「丸や呉服店」着物専門店「丸や呉服店」

12月1日(月)〜6日(土) 栗山工房・紬展

 

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◇◆◇[町家]◇◆◇

「町家」に住みたい!なんて思ったことありませんか?

 古き良き建物は、ずっと残していきたいものですね。

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「町家」といえば、今注目を集めている京都の「町家」を思い浮かべる方がほ

とんどではないでしょうか。

でも「町家」は京都だけのものではないのですよ〜

今回は、自然と共存してきたエコロジー住宅「町家」をお届けします。

 「町家」とは・・・と聞かれて、何となくわかっていても答えられないなあ・・・

という人も多いはず。

そもそも、「町家」とは、町とか町並みに建っている民家のこと。う〜ん何とも曖

昧な表現ですが、皆さんの頭にはきっと思い浮かんでいることでしょう。

間口は、3間半(約4・5メートル)、大きい家になると8間以上(十数メートル)

のものもあります。この間口に比べて奥行きの深いのが特徴。「うなぎの寝床」な

どとよく言われていますね。

この「町家」、歴史をたどると平安の時代まで遡ります。歴史の時間に勉強した「平

安京遷都」、覚えていますか?

西暦 794年のことでしたね。腐敗しきった奈良時代におさらば。桓武天皇が、京

に都を移し、平安時代の始まり。桓武天皇は律令国家再建へ色々と改革を始めま

す。しかし、西暦 810年、嵯峨天皇の時代、病気で天皇を辞めた平城天皇と 、そ

の彼女である藤原薬子(くすこ)によって反乱(薬子の乱)が起こったのです。

結果、嵯峨天皇が勝利を収め、平安京は永遠の都(万代の宮)として定着するこ

とになり、約 1200 年の京都の歴史がここに始まったのでした。(平安京定都)

こうして誕生した平安京は、天皇から庶民に至る、様々な身分の人々が住んでい

ました。もちろん、平安京は街区( 町の中を道路などによって一定の広さに区切

ったひとつの区域) 主体の都市。身分によって敷地の大きさ・建物自体も違って

いました。その中で、国の役所に勤めていた人々は特定の場所に住んでいました。

その住まいは、独立の住まいや長屋の住まいもあり、これが「町家」に発展して

いったと考えられています。

でも、「町家」という言葉は、平安時代、他の建物を意味していました。それは、

官設の市場。東市・西市で販売するための施設を「店屋(まちや)」と呼んでいた

のです。ただ、この施設は平安時代の早い時期に廃れています。

やがて、道に面して売買できる施設が建つという姿に変化。これぞまさしく、現

在の形に近い建物といえるようです。事実、平安時代末期に描かれた「年中行事

絵巻」には、道に面した棟割長屋の風景が描かれています。すでにこの時代には、

原型が整っていたのですね。

では、ここで現在の「町家」の構造を説明したいと思います。

「町家」には、3つの機能が含まれています。まず、庶民が住むための小さな家

「小屋(こや)」、物を売ったり物を作ったりたりする「店」、そして、祭礼や行事

などの行列、人の往来、道の光景を見物するための「桟敷(さじき)」です。この

3つの機能をひとつの建物「町家」によって兼ね備えているのです。

家は、間口いっぱいに建てられ、隣の家とは壁一枚。柱と梁(はり)の独特の組

み合わせ(軸組)、外壁は道に面しており、瓦屋根、格子戸(出格子)があり、2

階は「虫籠窓」になっています。作りにはいくつかの種類がありますが、基本的

には、表(店)から台所を通って、奥まで繋がっている「通り庭」(土間になって

います)があります。

「町家」を画像で →  http://www.kimono-maruya.com/mv/?62

この表の格子は、室町時代、応仁の乱の少し前から見られるようになります。戦

国時代、防衛のために作られたのです。やがて、織田信長・豊臣秀吉の時代にな

ると、京都の近代都市化が進められます。信長は、上京と下京に分かれていた町

を二条城の建設によってひとつにまとめ、秀吉は、町割の改造、寺町作りなど、

城下町としての町づくりを成しました。江戸時代になると、京都は徳川幕府の支

配体制下に入り、共同体のあり方、町の枠組みが確立されていったのです。規格

化・標準化することによって、町並みは整ったのです。

現在受け継がれている「町家」は、江戸中期にできたものに似ているとか。長い

歴史の中で、庶民の町は、機能性を含め、江戸時代と変わらず生き続けているの

です。

バブルの時代、生活様式の変化、地上げなどによって失われそうになった「町家」。

近年その「町家」を残そうと様々な取り組みが成されています。 近頃ではテレビ

でも「町家」にカフェやレストランが出現して新しい「町家」が生まれつつある

様子が放映されています。「町家」のあり方には、様々な意見があるようですが、

文化とは、その時代にあった様式に生まれ変わりながら続いていくもの。そんな

暖かい目で見守っていけたらいいですね。京都やその他の町並みが崩れることな

く、日本の美しさを大切にできる環境でありたいと願っています。

 

◇◆◇ [町家]といえば何を思い出しますか ◇◆◇

 「町家」といえば、やはり京都の町並みでしょう。小さい頃から映画やテレビ

を通して見てきた「町家」の姿。住んだこともないその「町家」にずっとあこが

れていた私です。この仕事に就いてからネットで様々なメールマガジンを見る機

会があり、たまたま目にした「町家に住める人募集の記事」・・・京都に住んでい

ない自分が哀しかったこと。今でも、その気持ちは変わっていません。

実は小さい頃から父にそんな話をしていたのですが、京都の夏の暑さと冬の寒さ

を繰り返し言われ、ことごとく却下された思い出があるので、余計思いが強いの

かもしれません。

さて、この「町家」、環境問題でも注目の的であることをご存じですか?

誰もが口を揃えて話す「京都の夏はとにかく暑い!」。まあ盆地なのだから当たり

前のことなのですが、そんな暑さは、きっと平安時代から感じていたこと。だか

ら、京都の「町家」には工夫がいっぱいあるのです。

表(店)から奥まで繋がっている土間になっている「通り庭」。暑い日にはその「通

り庭」に水を打ちます。そして裏庭(奥深い家には中庭や坪庭もあります)には

緑が植えられています。こうすることによって水と緑で空気の流れを作り、涼し

さを誘います。また、部屋の障子は葦簀に、庭に面した窓には簾、そして水の流

れる音。

風の流れから、見た目、音に至るまで、季節によって変化をもたらす「町家」。日

本人の知恵がいっぱい詰まっていると思いませんか?

今東京では、夏の冷房によって空気が暖められ、温度が上昇する現象が起きてい

ます。イベントで「打ち水」をすることによって少しでも温度を下げようという

試みもされています。しかし、自然を無視して人工的に作られたアスファルトに

覆われた町、冷暖房なしでは生きられなくなってしまった私たちが現実としてい

ます。そろそろ環境を本気で考えないと環境だけでなく、人間も衰えていってし

まう・・・なんて、そんなことになりませんように・・・「町家」を少しでも見習

いたいですね。

 

 

   

   

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