着物専門店「丸や呉服店」着物専門店「丸や呉服店」

12月1日(月)〜6日(土) 栗山工房・紬展

 

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◇◆◇[上村松園]◇◆◇

美人画家として有名な「上村松園」

 あなたは、「松園」の描く女性にうっとりしたことはありませんか?

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4月23日は、「上村松園」の生まれた日。

「松園」の描く世界は、どんな世界だったのでしょか・・・

今回は、本当の美しさを教えてくれる「上村松園」をお届けします。

 「上村松園」は、西暦 1875年(明治8年)、京都市四条御幸町の葉茶屋「ちき

り屋」、上村家の次女として生まれました。

 葉茶  →  茶の若芽を蒸し、よりをかけ干して製した茶。

抹茶に対して、煎茶などのことをいいます。

本名は「津禰(つね)」といい、誕生前に父を失い、母の手で育てられました。

小さい頃、母にねだって、江戸絵に使う白描(はくびょう: 東洋画で、墨一色を

用い、筆線を主体として描いた絵)を買ってもらい、江戸絵を手本にしたり、白

描に色を塗ったりして遊んでいたようです。

「松園」の最初の作品は、墨筆で描かれた「たばこぼん」。

京都の小学校が連合して絵の展覧会を開いたときの作品で出品。

見事入賞したのです。

「松園」は、小学校を卒業すると、京都画壇の大家「鈴木松年(しょうねん)」の

勧めで、京都の画学校に入学。正式な絵画教育を受け、そのときに「松園」とい

う名をもらいました。

15 歳の時、松年のススメにより、第三回内国勧業博覧会に「四季美人絵図」を出

品。見事、一等褒状を受賞します。この絵は、来日中の英国皇太子コンノート殿

下の目に留まり、購入されたことから、「松園」の名が、一躍有名になったのです。

「松園」、 16 歳の時でした。

19歳の時、師松年の許しを得て、 幸野楳嶺(ばいれい)に弟子入り。幸野楳嶺(せ

いほう)の死後、高弟であった竹内栖鳳に師事することになります。

師事を変えることによって、自らの画風を確立しようとした「松園」。

そのたびに、新たな魅力が加わっていったのです。

 鈴木松年  →  京都生。日本画家鈴木百年の子。父に画を学び、国内外の博覧

会、絵画共進会で活躍、京都画壇に重きを成す。

幸野楳嶺 →  円山派・四条派さらに南画を学び,明治 13(1880)年に京都府立

画学校を設立。のち青年絵画共進会を作り竹内栖鳳らを育てた。

竹内栖鳳 →  近 代日本画の先駆者で、画歴は半世紀に及び、戦前の京都画壇

を代表する大家。

25歳の時、日本美術院の展覧会に出品した「花かざり」は横山大観(たいかん)

と並んで、銀賞を受賞。画家としての地位を築いた「松園」は、 28歳で画家とし

て独立。ここから「上村松園」の新たなページが作られていったのです。

横山大観  →  水戸藩士酒井捨彦の長男として誕生。東京美術学校を卒業。

日本美術院を創立。「朦朧体」と呼ばれる新しい画風を創り出し

多くの作品を書き上げた人。

その頃、私生活でも変化がありました。 27歳で生んだ一人息子。

師匠であった松年の子といわれています。

「松園」は、どんな気持ちだったのでしょうか・・・

まだ、女性は、お嫁にいくためにお稽古ごとをしていれば良い時代。

男性と同様に仕事を持つなんてもってのほかであった時代。

彼女を取り巻く環境は、決して暖かいものではありませんでした。

男中心の中にあって受ける嫉妬。陰湿な苛め。彼女にとって美人画を描くことだ

けが、唯一、男性を見返すことであったのです。

その中で、子を宿し、生んだ「松園」。

やがて、時代が、西洋画の影響を受け始め、「松園」は、迷い始めます。スランプ

に落ち、描けなくなっていったのです。 40歳を過ぎたころでした。

それに追い打ちをかけるように松年の死。大切な人を失った心の隙間。

闇の中へ入って出口の見えない日々。

そんな、もがき苦しんだ末に生まれた作品が「焔(ほのお)」です。

 焔  →  http://www.kimono-maruya.com/mv/?47

この作品について松園は、「どうしてこのような凄艶な絵を描いたのか、私自身で

もあとで、不思議に思うくらいです。あの頃の私は、芸術上にもスランプがきて

どうにも切り抜けられない苦しみを、ああいう画材に求めて、それに一念をぶち

込んだのでありましょう。」と語っています。

自分本来の道を歩き始めたのです。

本当の美しさを求めて・・・

「松園」、 59歳の時、母が亡くなります。

女手ひとつで、「松園」を育て、「松園」が芸術の道を志したときも、周囲の反対

を受け流し、「松園(つうさん)が好きな道やもん」と言った母。

「松園」は、後に「私を生んだ母は、私の芸術まで生んでくれたのです」と自伝

に書き残しています。

母の死を境に、更に内面的な深みのある女性を描くようになった「松園」。

西暦 1948年、女性として初めての文化勲章を受賞。

その喜びを母に伝えたかったのか、翌年、 74歳で人生の幕を閉じたのです。

芸術家として、女性として、明治・大正・昭和を強く生き抜いた「上村松園」。

明治の女性は強かった・・・すごかった・・・

苦しみながらもまっすぐに生きた姿は、美しいものですね。

最後に私の好きな作品をご紹介します。

良宵之図(りょうしょうのず)  →  http://www.kimono-maruya.com/mv/?46

なんともいえない美しさを感じます。女の美しさとは・・・

考えさせられる一枚です。

みなさんは、どのようにお感じになりますか?

 

◇◆◇ [上村松園]といえば何を思い出しますか ◇◆◇

 「上村松園」といえば、宮尾登美子さんの本、そして、映画「序の舞」を思い

出しませんか ?本を読まれた方、映画を見られた方、きっといらっしゃると思いま

す。(映画「序の舞」は、宮尾登美子さんの本を映画化したのですが・・・)

この本のモデルは、もちろん「上村松園」。

タイトルの「序の舞」とは、「上村松園」」の作品「序の舞」によります。

 作品「序の舞」  →  http://www.kimono-maruya.com/mv/?43

この絵のタイトル「序の舞」は、能楽の ゆったりした典雅な舞 の一種のこと。

優雅で柔和な美しさ。美しい女性の優美さや、寂 (さ)びた優美さ を具現しようと

するもので、その舞は、おだやかで静かな舞だそうです。

上村松園が描いた「序の舞」は、能衣裳を身につけてはいませんが、左手を軽く 結び、

扇をかざした右手の先、一点を見据えたきりっとした表情に芯の強さ、美 しさを感じます。

この絵をよく見てみると、右の長い袖が返っています。激しい動きのあと、一瞬 の静寂。

それは、一瞬の変化を描いた絵であることがわかります。 一瞬、息をはっとのんでしまうほど

の緊張感のある絵。

女性の、松園の、内に秘めたる激しさが描かれているのかもしれませんね。

宮尾登美子さんの書かれた「序の舞」も、その激しさが伝わってきます。

明治から大正・昭和を生きた「松園」。

まだまだ、女性の地位が認められない時 代に日本画家として生き抜いた人生は、

決して平坦なものではなかったと思います。

小説ではありますが、女性の持つ激しさ、寂しさ、美しさ・・・そして強さ が、「松園」

の絵と重なり、心に深く刻まれた本でした。

久しぶりに映画が見たくなりました。

今日は、「序の舞」の鑑賞会・・・一人でひっそり見ます。

忘れてしまったあなた、ゆっくり読書もいいですし・・・映画鑑賞もオススメですよ!

どうぞ、今宵は、「松園」の世界に・・・

本  →  http://www.kimono-maruya.com/mv/?44
DVD →  http://www.kimono-maruya.com/mv/?45

 

 

 

   

   

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