着物専門店「丸や呉服店」着物専門店「丸や呉服店」

12月1日(月)〜6日(土) 栗山工房・紬展

 

きもの丸やのトップへ戻る

日本古来の行事や文化、伝統、風物など 日常の中にそこはかとなく感じる「和の心」を
メールマガジンを通してご紹介しております。 是非、ご愛読ください。
バックナンバーはこちらから

きもの丸やWebShop

きもの丸やWebShop

着物丸やトップページ


丸やオススメ今週の着物と帯
今週の着物と帯


着物丸やの着物周り

着物の知識

着物のお仕立て

着物の着付け

着物のお手入れ

着物リメイク

きもの丸やの紹介

着物リンク集

厳選リンク集

着物ebook

QRコードから簡単アクセス対応機種をお持ちの方は バードコードを読み取るだけで簡単にアクセスできます
※ご利用頂けない機種もございます


管理人のプロフィール
店長

きもの丸やお問い合わせ

 

 

 

 

----------------------------------------------------------------------

◇◆◇[備前焼]◇◆◇

お茶の世界で、 2月は「侘び月」

こんな時には、器も「備前焼」で、しっとりと・・・しませんか?

----------------------------------------------------------------------

日本には、数々の焼き物がありますね。

それぞれ、色々な特徴がありますが、「備前焼」の素朴さが私は大好き。

今回は、静かに過ごしたい日に、ぴったりの「備前焼」をお届けします。

 備前焼は、瀬戸・常滑・丹波・越前とともに日本を代表する六古窯のひとつ。

そのなかでも、最も古い窯が「備前」です。

「備前焼」は、土師器(はじき)と須恵器(すえき)の技法を受け継いでいる、

日本で最も古い形態を残している焼き物です。

土師器とは、日本古来の弥生式土器の一種。 900度前後で焼成される釉(うわぐす

り )をかけない素焼きの陶器(瓦筍:かわらけ)のことをいいます。

赤褐色か黄褐色で、文様がなく、多くは轆轤 (ろくろ)・窯(かま)を用いずに焼成

します。煮炊き用・食器として用いられ、 5世紀以降は須恵器と併用されました。

土師部 (はじべ: 土師器などを製作する職業的専門集団 )が焼いたところから、こ

の名がついたといわれています。

また、須恵器は、紀元前 4000年頃に発達した中国龍山文化期の灰陶や黒陶の流れ

を汲んで、 5世紀に朝鮮半島の新羅・百済を経由して日本に伝わった土器です。

日本古代の灰色の硬質土器で、一部轆轤 (ろくろ)を利用して作り、穴窯(あながま)

を用いて 1200度くらいの高温で焼きます。祝部土器(いわいべどき:祭祀用の土

器と考えて命名した旧称 )ともいわれています。

 

古墳時代になると、家族を葬る墳墓が作られるようになり、それに伴って、土師

器や須恵器を作る職人が増えてきました。そして古墳の密集地である備前地方に

土師器と須恵器の工人達が居住するようになっていったのです。

備前焼の始まりがここにありました。

しかし、奈良時代になると、古墳が衰退し、やがて、工人達は、日用雑器を作る

ようになっていったのです。

この頃、唐から陶器が輸入されていたのですが、唐三彩(とうさんさい: 中国で

唐時代の7世紀から8世紀に焼成された鉛釉陶器のことで、鉛釉を掛けた上に、

酸化銅、酸化鉄、酸化コバルトなど掛け分けることによって、緑、褐色、藍色な

どの発色を得る色彩豊かな陶器 )のような彩釉陶器は、国内で生産するには高価

だったため、土師器や須恵器が生産されていたのです。

土師器は、一般庶民の厨房用具として、神社などの神祭用具や使い捨ての陶器と

して使われ、また、須恵器は京都や各地方の官庁・貴族・寺院などで使われてい

 

ました。備前の須恵器は、平安時代には貢納品として使われたとか。

それだけ、須恵器は、品質がよく、優れた焼き物だったのです。

さて、時代は変わり鎌倉時代を経て、室町時代に入ります。

室町時代になると、大甕や大壺などが作られるようになります。

また、擂鉢(すりばち)も作られるようになり、その堅固さが全国に知れ渡るく

らい評判となったのです。

街では、「備前擂鉢投げても割れぬ」と歌われるほどだったとか。

人々の生活に「備前焼」は、強く根付いていったようです。

そして、なんと言っても室町時代には、「備前焼」と深く関わった茶陶を忘れては

いけませんね。

お茶の世界において、まだ薬湯の域にあった「禅林(禅宗の寺)の茶」は、上流

武士の「書院の茶」に発展します。

八代将軍義政の時代には、「侘び茶」の提唱者「村田珠光」なる人物が登場します。

珠光は、大徳寺の一休宗純(そうじゅん)に参禅し、それまで分かれていた「書

院の茶」「地下茶の湯」を取り入れ、さらに一休宗純から学んだ禅の精神を加え、

精神的・芸術的内容をもつ茶道を完成させたのです。

茶道の歴史については、また改めて触れたいと思いますが、唐物を中心とした「書

院の茶」に対し、「侘び茶」の代表として「備前焼」が使われたのでした。

やがて、千利休にその心は受け継がれ、千利休によって、信長や秀吉に「備前焼」

は愛されるようになります。

大茶会には、「備前焼」が使われ、「備前焼」の全盛期を迎えたのです。

素朴で、飾り何もない「備前焼」。

生活に根ざした焼き物は、「備前水甕(みずがま)、水が腐らぬ」「備前徳利お酒が

うまい」と昔からいわれてきたのです。

その理由が、「備前焼」には僅かに浸透性があり、水を活性化するから。

だから、水甕や藍染め、酒や酢の醸造甕として使われ、花を生けても他の器より

も長持ちなのです。

更に、約 1300度の熱で2週間以上焼き締める「備前焼」は、とても丈夫。

そう、昔から言われていた「擂鉢投げても割れぬ」です。

いかがでしたか?

最近では、陶器も 100円ショップで手軽に購入できるようになりました。

安くて手軽は、庶民にとってはありがたいことですが、昔から伝えられてきた焼

き物にも良い点は色々とあったのですね。

どんよりした一日、「備前焼」の湯飲みで渋いお茶を飲むなんて、日本人してます

よね〜。

たまには、そんな時を過ごしてみませんか?

 

◇◆◇ [備前焼]といえば何を思い出しますか ◇◆◇

 「備前焼」といえば、やはり思い出すのは茶器です。

昔、ちょっとだけかじったお茶の世界。 2月は「侘び月」といわれています。

「侘び」とは、 簡素の中に見いだされる清澄・閑寂な趣のこと。中世以降に形成

された美意識で、特にお茶の世界で重視されました。

「寂び」とは、 古びて味わいのあること。枯れた渋い趣をいいます。

お茶の世界ではよく耳にする「侘び寂びの世界」です。

「備前焼」の特徴、「釉薬(うわぐすりのこと)を使わない焼き締め陶」。

「一土、二焼け、三形」といわれ、土が命の「備前焼」は、良質の陶土をじっくり

焼き締める、ごく自然な土と火の出合いによって生まれます。

この伝統は、 1000 年もの間、守り続けられ、茶人に愛されてきました。

ちょっと思い浮かべて見てください。

まだ、寒さが厳しい 2 月、小さい茶室の中は、外から陽が優しくほんのり差し込

むだけの薄明かり。

奥には、何の飾り気もない「備前焼」の水差しが置かれ、静かな時だけが流れ、

音といえば、茶の沸く音と茶せんを動かす音だけ。

寒いはずの茶室は、赤々と燃えた炭とお釜から湯気がたっているだけで暖か。

何も語らなくても、同じ空間にいるだけで、心が通じ合える不思議な気持ち。

これが、室町時代、日本人が生み出した空間。

決して飾らない、素朴さの中から生まれた美意識。

小さなお茶室で味わえる安らぎです。

いつも忙しくしている私たちにとって、ありがたい空間です。

「備前焼」の美しさは、そんな日本人の美意識から生まれたもの。

茶人「珠光」はこんなことを言っています。

「月も雲間のなきは嫌にて候」

雲ひとつない満月よりも、雲が僅かに懸かった月のほうが美しい。

春が待ち遠しい 2 月、「備前焼」を手に取りながら、おばあちゃんになっても「侘

び寂び」が感じられる人でありたいと思う私です。

 

   

   

ページの上へ戻る                                                      着物丸やトップへ戻る

お問合せ 販売法表記 規約 ご注文の流れ リンク集

Copyright(c)2004-7 着物専門店「丸や呉服店」 All Right Reserved