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◆◇◆[芭蕉布]◆◇◆
「芭蕉布」という織物を知っていますか?
琉球王朝の時代、士族が纏っていた織物を
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日本の織物の中でも、とても希少価値になってしまった「芭蕉布」。
夏の織物として、今でも沖縄県本土で織られています。
今回は、夏の最後を飾る織物「芭蕉布」をお届けします。
さて、みなさんは、「芭蕉布」という夏の織物を見たことがありますか?
「話には聞いたことがあるけれど・・・」
「本で見たことはあります!」
「そういえば、歌があったわよね〜」
という方が多いのではないでしょうか。
見たことがなければ、なかなか想像できないですよね。
芭蕉布の画像はこちら → http://www.kimono-maruya.com/osusume.htm
「芭蕉布」は、字の通り、「芭蕉」の木から作られた布です。
「芭蕉」の木ってなに?
それはこちらの画像から → http://www2.synapse.ne.jp/kajyuen/basyo.htm
「芭蕉」とは、バナナの木のことをいいます。
といってもバナナの木は、「実芭蕉」。
他には、「花芭蕉」があります。
そして、「芭蕉布」の糸になるのは、「糸芭蕉」なのです。
「芭蕉」は、中国南部が原産といわれ、日本には古い時代に伝わっていたようです。
名前の由来は、和名抄(わみょうしょう 西暦932年)」によると、
漢名「芭蕉(ばしょう)」を、和名「発勢乎波(ばせおは)」。
葉は、席(わらむしろ)のように見え、またの名を苑(えん)、一名甘蕉(かん
しょう)ともいう。
と記されています。
その記述はこちら → http://www.basjoo.jp/kumanomi/page/bajoo-page/info/page/wamyousyou.htm
余談ですが、奥の細道で有名な松尾芭蕉の名前の由来は、庭に「芭蕉」の木があ
ったから、だそうです。
「芭蕉布」の歴史の始まりは、13世紀〜16世紀のこと。
琉球王国で、生産されていました。
琉球王国が成立したのは、西暦1429年のことですから、同じ頃のこと。
琉球王朝についてはこちら → http://page.freett.com/haniwa828/ryukyu/index.htm
織物には、無地・縞・絣があります。
(絣とは、染め分けた糸を織って文様を表す織物のことをいいます。)
琉球王朝では、絣柄の織物を身に付けていました。
そして、階級によって柄が決められていたのです。
江戸時代に大名によって裃の柄(江戸小紋の留柄)が決まっていたように。
「首里柄」といわれている柄は、王侯貴族階級の柄、士族階級の柄をいいます。
柄の大きいものは士族以上、小さいものは庶民のもの、というように細かく決ま
っていたのです。
もちろん、それだけ細かく決められているのですから、王侯貴族専用の布を作る
人が従事していました。
そんな中、琉球王国に悲劇が訪れます。
薩摩地方を統治していた島津藩は、豊臣秀吉の時代から何回ともなく介入を繰り
返し、西暦1609年、江戸幕府の許しを得、侵攻したのでした。
その後、島津藩の統治下に置かれ、西暦1637年には、貢納布制度が敷かれました。
(この制度は、なんと西暦1903年まで続いたのです。)
王侯貴族の御召ものとしてだけでなく、税金として収めることになった「芭蕉布」。
皮肉なことに、保護と管理のもと、発展を遂げていったのでした。
明治時代になると、沖縄全土で「芭蕉布」は織られるようになります。
明治26年(西暦1893年)に記された「南島探検」(笹森儀助著書)には、「芭
蕉布」が紺地561反、白地249反生産されたことが書かれています。
まだ、自家用だった時代です。
根路銘で芭蕉布品評会が明治40年(西暦1907年)に行われ、これを機に、庶民
の織物「芭蕉布」は、商品として生産され、売られるようになったのです。
しかし、その生産も第二次世界大戦勃発により中断されました。
昭和20年7月末には、米軍の命令によって「芭蕉布」を生産するものの、自然災
害により工場は閉鎖。
またしても、「芭蕉布」の運命は消えそうになったのです。
消えかかった「芭蕉布」に命を注いだのが、現在も元気に「芭蕉布」を織ってい
らっしゃる平良敏子さん。
「芭蕉布」復興のために尽力された方です。
平良さんは、その功績が認められ、西暦2000年には、人間国宝(重要無形文化
財技術保持者)に指定されました。
平良さんがいらっしゃらなかったら、今、「芭蕉布」は日本から消えてしまって
いたでしょう。
長い年月をかけて、日本で生まれ育った物が無くなってしまう。
実は、今、消えかかっているものが日本には本当にいっぱいあるのです。
「芭蕉布」のように、尽力する人がいて、初めて存続する日本の文化・伝統。
なんか、あまりに悲しい現実です。
まず、知ってもらうことから始めないといけない、私の課題です。
◆◇◆[芭蕉布]といえば何を思い出しますか◆◇◆
「芭蕉布」といえば、近年、反物の値段にびっくりされる方も多いのではないで
しょうか?
実は、先日も当店のウィンドーに飾っておりました「芭蕉布」を見ていらっしゃ
った方に、ご説明させていただいたのですが、お値段をお知りになり、とてもび
っくりされていらっしゃいました。
だって、車が一台買えてしまう値段なのですもの。
誰だって驚いてしまいますよね。
そんな反物が世の中に存在するなんて・・・。
でも、値段ばかりが先行してしまい、「芭蕉布」の印象が値段で終わってしまっ
ては、「芭蕉布」のすばらしさを知っていただけないので、ここでお伝えしたい
と思います。
芭蕉布の大きな特徴は、麻より繊維が堅いため軽く張りがあり風通しが非常に
良いこと。
だから、衣類が肌にまとわり付くこと無く、一層さらりとした肌触りがあるのです。
蒸し暑く、夏の長い沖縄だからこそ、愛用されてきました。
「芭蕉布」は、1反織りあがるためには、とても長い時間かかります。
原料となる糸芭蕉は、芽がでてから2〜3年で繊維が採れるようになります。
でも、野生のものは繊維が硬いために、今はすべて栽培しているのです。
良質の糸を採るためには、根元と先端の太さを同じにして、なおかつ、繊維が柔
らかくなければいけません。
そのために、栄養を考え、肥料に気を配り、下の葉を落とす(葉留め)や芯留め
という作業を3〜4回行います。
成長した糸芭蕉は、一枚一枚丁寧にはがされ、着物には一番中のもの(ナハウー)
を使います。
取り出した繊維の長さは、約1.5メートル前後。
1本の糸にするためには、手作業で結び合わせます。
「芭蕉布」を1反織るのに、なんと、糸芭蕉200本を使うのですから、びっくり
です。
糸になり、染める、この作業に至るまで、手間のかかる工程が続くのです。
それも、すべて手作業。
ひとつひとつの段階で、手を抜いてしまえば、次に響いてしまう。
気の抜けない時間が続きます。
糸芭蕉を切り倒して、1反織りあがるには2〜3ヶ月。
年間にして250反の生産です。
今、芭蕉布携わっている方の平均年齢は72歳。
81歳になられる平良敏子さんを中心に生産され、約40名おられます。
熟練を要し、長年の勘によって生まれる「芭蕉布」。
後継者の育成には、まだまだ時間がかかるのが現状です。
いつの日か、「芭蕉布」が昔のように普段着として気軽に着られる時を夢見て。
ご紹介いたしました。
気の遠くなるような時間をかけて織られた夏の着物「芭蕉布」。
いかがでしたか?
こんなにも人の手によって心を込めて織られた着物が、「芭蕉布」なのです。
もし、沖縄に旅行されたら、是非「芭蕉布会館」にお出掛け下さいね。
織っていらっしゃる姿を時下に見る事ができますよ。
ご案内はこちらから →
http://www.kougei.or.jp/facilities/okinawa/okinawa09.html