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--------------------------------------------------------------------- ◇◆◇[蕎麦No.2]◇◆◇ あなたのお気に入りの「蕎麦屋」は、どこの系統? 藪?更科?それとも・・・・? ---------------------------------------------------------------------- 早速、「お蕎麦」、食べに行きましたか? えーまだ行っていないんですか〜。今週は行きたくなりますよ! 今回は、前回に引き続き、思わず唸ってしまう、おいしい「蕎麦」の2回目を お届けします。 まだまだ、室町時代まで、「すいとん」や「だんご状」だった「蕎麦」。 「蕎麦」の語源からも、日本を代表する食べ物とは言い難かったですね。 前回はこちらから → http://www.kimono-maruya.com/sample.htm 雑穀とみなされていた室町時代から、今日の地位を築くことができた背景は、 何だったのでしょうか。 ここで問題です。 「蕎麦切り」とは、一体なんでしょう。 そばを切る包丁ではありませんよ。 答えは、「蕎麦」のこと。 実は、「蕎麦」は、「蕎麦切り」を略した言葉だったのです。 室町時代、まだ「蕎麦」は、「だんご状」や「すいとん」として食されていま したから、細く切った麺を「蕎麦切り」と呼び、区別していたのでしょう。 「蕎麦切り」発祥の地と言われているのは、信州塩尻「中山道本山宿」。 江戸の板橋宿から数えて32番目の宿場町です。 (西暦1706年出版の俳文集「本朝文選(後「風俗文選」と改題)に記されて います。) 「蕎麦切り」が始まった時代には、諸説あります。 最も古くいわれている時代が、室町時代後半、西暦1547年という説です。 麺として平安時代から「うどん」が存在していたことを考えれば、遅すぎたか もしれませんが・・・。 たぶん、「そば粉」だけでは、つながりがよくなかったことが影響しているの でしょう。 しかし、ここで不思議なことがあるのです。 実は、「蕎麦切り」は、菓子屋から入ってきたというのです。 「蕎麦切り」と菓子屋に、何の共通点があるというのでしょう。 そのヒントが、「葛切り」の技法にありました。 「蕎麦」の打ち方は、麺棒を3本使って打ちます。 これは、「葛切り」の技法と同じ。 違いは、「そば粉」か「でん粉」かということだけなんです。 それに加えて、「蕎麦」は、「蒸籠(せいろ)」にのっていますよね。 その時代、まだ「蕎麦」は蒸していたのです。 なぜなら、100%そば粉を使うと、鍋に入れて茹でている間に「蕎麦」がちぎ れてしまうため、「蒸籠」の上に置いて蒸して食していたからです。 今でも、もりそばのことを「せいろ」といいますよね。 これが、確かな証拠です。 街道の茶屋でも、「蕎麦切り」を食すことができるようになり、やがて、街道 を伝わって江戸に入ってきたのです。 「温飩(うどん)・蕎麦切り」の看板が見られたのもこの頃。 しかし、まだまだ「うどん」が大勢を占めていました。 「蕎麦切り」は、「うどん」という麺類の一種と考えられていたのです。 西暦1650年頃のことです。 西暦1700年頃になってくると、「蕎麦屋」の看板が目につくようになってき ました。 「ぶっかけ」という言葉がでてきたのもこの頃です。 「ぶっかけ」とは、「蕎麦」に汁をかけて食すること。 荷物を運搬する人々が、立ちながら食べられることから始まりました。 しかし、当時は下賤な食べ方とされ、女子にあるまじき行為とされたのです。 とはいえ、器はひとつ、簡単に食べられる「ぶっかけ」は、方々で売り出され、 やがて、汁を付けて食べる「蕎麦」を「もり(高く盛る形の意)」と呼び、「ぶ っかけ」と区別するようになったのです。 「蕎麦」が人気を占めるようになる頃、「二八そば」のいよいよ登場です。 「そば粉」100%では、難しかった「つなぎ」が、小麦粉を加えることによっ て可能になったのです。 切れない「蕎麦」というわけです。 しかし、喜んでばかりもいられません。 つなぎだけに使っていた小麦粉を徐々に増やし、品質を落とす店がでてきたの です。 いつの時代にもあるんですね。ごまかしが・・・。 そこで、登場した言葉が、「生蕎麦(きそば=「そば粉」100%のこと)」です。 高級店として格の違いを強調したのです。 (でも、現在では、区別はつかなくなっていますが・・・。) こうして、江戸時代には「蕎麦」は、確固たる地位を築いたのでした。 今では「蕎麦通」と言われる人々が多くなり、「蕎麦」を楽しめる店も増えて いますね。 みなさんの家の近くには自慢の「蕎麦屋」がありますか? わたしのおすすめは・・・??? ◇◆◇ [蕎麦]といえば何を思い出しますか ◇◆◇ 「蕎麦」といえば、「蕎麦」の色に注目しませんか? ふと、入った「蕎麦屋」、頼んだ「蕎麦」の色は、「白」?、「黒」? なんで、同じ「蕎麦」なのに違う色なのか・・・不思議に思いませんでしたか。 なんとなく、違いがあやふやな方、問題解消いたします。 「蕎麦」は、まず、貯蔵した玄ソバを乾燥し、水分を除きます。 次に「角おし」といって、不純物を取り除きます。 「角おし」を十分にしてから「挽き抜き」といって外皮を除く工程に入ります。 外皮だけきれいにとれたものを「丸ぬき」、そばめしなどに使います。 次に残った粒の三角形が2つから3つに大きく割れたものを「上割れ」。 完全に5つくらいに割れたものを「小割れ」といいます。 「上割れ」だけを軽く製粉したものを「さらしな粉」。 「上割れ」を除いた全部と「さらしな」を取った残りを混ぜたものが、そば粉 の材料となります。 最初に軽く挽いてでたものを「一番粉」。 うまみがあり、香りがよく、甘味のある蕎麦ができます。 一番粉が取れたその周りから取れるやや黒みがかった粉が「二番粉」。 そばの実の一番外側から取れる黒みがかった粉を「三番粉」といいます。 「蕎麦の実」は、中心が一番もろく崩れやすいので中心からでてくるというわ けです。 白い「蕎麦」が、さらしな粉を使った「さらしな蕎麦」。 風味、甘味に少々欠けますが、のどごしがいいのです。 (柚子蕎麦など、変わり蕎麦に使われます。) 黒い「蕎麦」が、二番粉以下を使った「田舎蕎麦」。 香りと歯ごたえ、そしてうま味が売りです。 ここで、蕎麦屋の代表的なのれんをあげてみます。 藪・・・江戸時代、今の雑司ヶ谷辺りに竹藪が繁る場所を「藪の内」と称し、 その地名から「藪蕎麦」が生まれました。 本家は連雀町の「神田やぶそば」。浅草の「並木藪蕎麦」が有名。 それに「池之端藪蕎麦」を加え、「藪御三家」といいます。 更科・・更科の総本家は麻布永坂。先祖が信濃布の行商をしていたことから屋 号を布屋(ぬのや)と付けたとか。 更科というだけあって、一番粉やさらしな粉を使った白い蕎麦で有名。 現在は麻布十番に、永坂更科布屋太兵衛、麻布永坂更科本店、信州更 科布屋総本家があります。 砂場・・発祥は大阪。秀吉が大阪城築城の際、砂場を設け、そこに集まる職人 目当てに蕎麦屋ができたことから名が付きました。 現在は、大阪に1軒もありませんが、「虎ノ門砂場」の正式屋号は「大 坂屋」であることから、そのルーツはうかがえます。 「室町砂場」「赤坂砂場」「虎ノ門砂場」が有名です。 いかがでしたか?「蕎麦」の奥深さを少し、感じていただけたら幸いです。 ちなみに「蕎麦」は、つなぎに小麦粉を使っているからのびるそうです。 つまり、生蕎麦はのびないということ。 でも、挽きたて、打ちたて、茹でたての蕎麦が一番です。 「蕎麦」は鮮度が命、のんびりしていたら、おいしさ半減になっちゃいますよ! でも、つゆはたっぷりつけて食べたいですが・・・。 |
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