日本古来の行事や文化、伝統、風物など 日常の中にそこはかとなく感じる「和の心」を |
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---------------------------------------------------------------------- ◇◆◇[狂言]◇◆◇ 狂っているわけではありません。 「狂言」は、日本のお笑いの原点なんです。 ----------------------------------------------------------------------
「狂言」、最近、ブームになっています。 「最近笑ってないなあ〜」という方にお薦めです。 今回は、いつでも笑える伝統芸能、「狂言」をお届けします。
「狂言」は、よく「能」とセットで上演されています。 歴史は、とても古く、奈良時代、中国から「散楽(さんがく)」という大衆芸 能が伝わったことが、始まりと言われています。 「散楽」は、滑稽な物真似、曲芸、呪術など、多種多様な芸をいいます。 奈良・飛鳥時代には、寺社の祭礼で演じられ、国土安穏(こくどあんのん)、 天下泰平(てんかたいへい)を祈祷していたのです。 国を挙げて、「散楽」の発展に力を入れ、上流階級の娯楽として普及しました。 やがて、平安時代になると、「散楽」は、一般庶民の間に伝わり、広く人気を 集めるようになります。 そして、人々は、「散楽」が訛って「猿楽(さるがく)」と呼ぶようになり、大 道芸の要素が濃くなっていったのでした。 鎌倉時代を通して、大道芸から、演劇の要素(歌や舞)を取り入れた「猿楽能」 =「能」と、猿楽本来の笑いの要素をせりふ劇に発展した「狂言」が、室町時 代に生まれたのです。
「狂言」とは、中国語の「狂言綺語(きょうげんきぎょ)という言葉からきて います。 意味は、「偽り飾った言葉」ということ。 仏教の考え方から、文学などを否定する立場で使われていた言葉なのです。 日本には、唐の時代(8〜9世紀頃)の詩人白楽天(はくらくてん)が、「願 以今生世俗文字業狂言綺語之誤 翻為当来世々讃仏乗之因転法輪之縁」と言っ たことが伝わったのです。 漢詩なので、少々わかりにくいと思いますが、簡単にいうと、 「偽り飾った言葉、つまり事の善し悪しを考えずにいたずらに真似ているので はなく、仏の教えを賛嘆することによって、転法輪(仏が教法を説いて、あや まった信仰や煩悩を打ち砕くこと)の縁となる。」ということ。 この漢詩が基になり、「偽り飾った言葉」は、やがて「常軌を逸した、戯れ の言葉」と広い意味に解釈され、滑稽な芸能=「狂言」を表す言葉になったの です。
室町時代、「能」は将軍家に庇護されたのですが、「狂言」は「能」に対して、 下品で洗練されていないといわれ、「能」と共に歩まざるをえなくなります。 「能」と共に歩んでいった「狂言」は、豊臣秀吉の時代になると、将軍のお抱 えとなり、身分も保証されるようになったのです。 そして、江戸時代には、「猿楽」は、幕府の儀式のために行われる芸能(式楽: しきがく)となり、台本も整理されたのでした。
しかし、江戸時代に、確立されていった「狂言」も、明治維新という大きな波 に飲み込まれていくことになるのです。 今まで、将軍家によって守られてきた身分、生活の保障は、幕府崩壊によって、 全てを失うこととなります。 あるものは、芸を捨て、あるものは、働きながら芸を続けていく、そんな生活 が始まったのです。 明治政府は、外国人をもてなすために「猿楽」を見せることを決めたのですが、 「笑い」は下品ということから、「狂言」は冷遇され続けたのです。 (この頃、「猿楽」では野蛮だということから、「能楽」と改めたとか。) この状態は、太平洋戦争が終わるまで続いたということですから、長い間、辛 い時代を過ごしてきたことが、想像できますね。
やがて、戦争も終わり、庶民が「笑い」を求めることができるようになり、「狂 言」も息を吹き返し、今日の、「狂言」ブームに至ったのです。 こうして、何の規制もなく、いつでも「笑い」を楽しむことができる時代に生 きていて、私は本当に幸せです。 いつまでも、「笑い」のある伝統芸能が栄え、平和な時代が続いてほしいです ね。 「笑い」は、幸せの源です。 もし、「笑い」を忘れていたならば、是非、お出かけ下さい。 何もかも忘れて「笑える」と思いますよ!
◇◆◇ [狂言]といえば何を思い出しますか ◇◆◇
「狂言」といえば、数年前から年に3回は通うほど、大好きな古典芸能です。 「狂言」は、「能」と一緒に「難しそう」と思われている方も多いようですが、 是非、一回は、足を運んでいただきたいお薦めの伝統芸能です。
なにがお薦めか、というと、何でもない事で、「笑える」からです。 「そんなこと?」って思われてしまうかもしれませんが、意外と忘れてしまっ ている「笑い」ってあるんですよね。
例えば、小学生でもよくわかる「附子(ぶす)」という狂言。 内容は、とても単純。 家来の二人に貴重な砂糖を盗み食いされないように、主人は、砂糖を「附子」 という大毒だと言って、外出します。 しかし、主人の留守中に、家来二人はすっかり砂糖を平らげてしまうのです。 主人が帰ってくれば、「怒られる!」と思った家来二人は、というと、 「主人秘蔵の茶碗を割ってしまい、死んで詫びようと思い、毒を飲んだが死ね ない。」と言い訳を始める始末。 主人と家来とのやりとり、二人の「お許しされませ、お許しされませ」と逃げ ていく後を、主人が「やるまいぞ、やるまいぞ」と怒って追いかけて行く姿が、 あまりに滑稽で、大笑いしてしまうラストシーン。
こんな光景、日常でもありますよね。子供のいたずら・・・とか。 小さい子が、頭の中で一生懸命考えた「言い訳」、思わず笑ってしまいそうに なったりしませんか? 悪いことをしているのですから、もちろん、きちんと怒ることは大切なことで すが、こんな狂言を見たら、心当たりのある子供だったら、「ドキッ」として、 反省するきっかけになるかもしれませんね。
「狂言」は、庶民の日常生活を題材にした喜劇です。 昔から演じられていた題目を、今でも「笑える」ということは、昔も今も、生 まれてから、歩んできた道は、あまり変わらないのではないでしょうか。 時には、難しいことを考えずに、笑ってみませんか? 私たちの生活には、「笑い」がいっぱいあることを忘れないためにも!
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