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 ◇◆◇歌舞伎No.2◇◆◇

  日本の誇り、伝統芸能「歌舞伎」

    あの人がいなければ、「歌舞伎」はなくなっていた?

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江戸から昭和を経て、世界に誇れる伝統芸能となった「歌舞伎」。

約400年、どんな運命を辿ってきたのか、私たちの知らない時代を経験した、

「歌舞伎」を前回に引き続きお届けします。

 

前回は、「歌舞伎」がどうして女性禁制で男性だけが舞台にあがれるのかを

ご紹介しました。

 詳しくは http://www.kimono-maruya.com/sanple108.htm

 

さて、「野郎歌舞伎」となり、演劇が重視されるようになります。

前髪を剃り落としたことによって、色気をなくそうとした幕府。

そこから生まれたものは、剃り落とした前髪を隠すためにかぶせた布です。

「野郎帽子」と呼ばれ、色気があると流行したそうです。

 

元禄時代(西暦1688年〜1704年:第5代将軍徳川綱吉の時代)には、庶民

文化が全盛期を迎えます。

「歌舞伎」も江戸と上方(京・大阪)にわかれます。

江戸では、初代市川団十郎が、荒事芸(あらごとげい)で大評判となりました。

荒事とは、荒い事で、荒々しい演技と演出の芸の様式をいいます。

上方では、坂田藤十郎が、和事芸(わごとげい)で大評判となりました。

和事とは、柔らかく、色気のある演技と演出の芸の様式をいいます。

その背景には、江戸には武士が中心となり活気に満ちたまだまだ勢いがある町、

上方は、反対に古い歴史のもと都市として完成された町であったことがあげら

れます。

 

この頃、櫓(やぐら:興行場の入り口に高く組み上げられた構築物)をあげる

ことが許された劇場は4座、中村座・市村座・森田座・山村座でした。

(江戸時代には、櫓は、官許(幕府が許した)の興行権の証だったのです。)

 

ここで事件がおきました。

時は西暦1714年、大奥の女中江島と山村座の人気役者生島の起こした事件。

後に「江島生島事件」といわれた事件です。

事件といっても、本当に些細なこと。

大奥女中江島は、第7代将軍家継の生母・月光院つきの大年寄(奧女中の取締

役)でありました。

月光院の名代で芝増上寺に墓参りに出掛け、その帰り、懇意にしていた呉服商

の誘いで、芝居を観、茶屋で役者を呼び宴会を開いていたら、大奥の門限に遅

れてしまったというもの。

これが、いったい事件なの?って思いますよね〜。

しかし、大変なことになってしまうのです。

大奥の争いと申しましょうか。7代将軍の生母・月光院と6代将軍の正室・天

英院の勢力争いに巻き込まれ、山村座は、廃絶という運命を辿ってしまうので

す。

この事件のおかげで、第8代将軍は吉宗となりましたが、「歌舞伎」は一時、

低迷してしまいます。

 

変わって人気を集めたのが、近松門左衛門で有名な人形浄瑠璃です。

  近松門左衛門についてはこちらから

      http://www.kosaiji.org/chikamatsu/shogai.htm

   浄瑠璃は、改めてご紹介します。

浄瑠璃の影響を受け、「歌舞伎」にも写実的な演技が生まれ、やがて浄瑠璃の

衰退によって、再び「歌舞伎」が人気を集めるようになったのです。

こうして、江戸時代を経て、明治時代を迎えました。

 

明治時代、女性禁制であった舞台の禁令が解けたのですが、現在に至るまで、

「女形」の歴史が続いています。

世界の演劇の歴史をみても、かつては古代ギリシャ演劇、シェークスピアの演

劇も女性を男優が演じていましたが、現在、残っているのはほとんど日本だけ。

「女形」の歴史には、男性が女性を演じるという演技だけではない、人間とし

ての苦労があったようです。

それでも、「女形」で有名な六代目歌右衛門や玉三郎といった役者のおかげで、

明治時代から昭和30年代にかけてあった「女形不要論」は消え、今日、世界

に認められる「歌舞伎」として、その地位を築いたのです。

 

時代の渦に巻き込まれながら、生き続けてきた「歌舞伎」。

今の華やかな「歌舞伎界」には、多くの苦労、哀しみや喜びがあったのですね。

文化が、続いていくためには庶民のエネルギーが必要なこともよくわかります。

400年守り続けてきた「歌舞伎」が、いつまでも私たちに楽しいひとときを

与えてくれるように、私も応援し続けていきたいと思っています。

時には、「歌舞伎座」に足を運んで見てくださいね。

 

 

◇◆◇ 「歌舞伎」といえば何を思い出しますか? ◇◆◇

 

「歌舞伎」で忘れてはいけないことがあります。

それは、「歌舞伎」を救ってくれたアメリカ人がいたこと。

 

「歌舞伎」は、長い歴史の中で、様々な出来事がありました。

その中で、断絶の危機をむかえたのが、第二次世界大戦後、日本が敗戦し、G

HQによって占領統治された時でした。

GHQといえば、マッカーサー、誰でもが知っている名前ですね。

そう、彼は、「歌舞伎」を「日本の民主化の妨げ」として、500を越える歌

舞伎脚本のうち、2/3の上演を禁止したのです。

禁止された脚本は、主君への忠誠、切腹、仇討ちといった、古典の名作でした。

市川家の十八番「勧進帳(かんじんちょう)」、12月には必ず上演される「仮

名手本忠臣蔵」。

私たちにとっては、美しく描かれていると感じているものも、日本独特の封建

的な考えとしかみられていなかったのです。

   「勧進帳」の内容はこちらから

          http://www.naritaya.jp/learn/18/17.kanjincho.html

   「仮名手本忠臣蔵」の内容はこちらから

          http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/exp1/

そこに運良くマッカーサーの副官(日本語通訳)として、フォービアン・バ

ワーズが側にいたのです。

彼は、以前、東洋音楽を学ぶためにインドネシアに向かう途中、日本に立ち寄

ったことがありました。

その時、たまたま、銀座へ出掛け、たまたま寺と間違え、歌舞伎座に入ったこ

とによって、「歌舞伎」の魅力に取り憑かれ、インドネシア行きをやめ、毎日

のように歌舞伎座に通い、そして「歌舞伎」に精通した人となったのです。

なんという偶然でしょうか。

彼は、「歌舞伎」を救うために、GHQスタッフに英語の解説も加え、「歌舞伎」

を観賞させたのです。

ホームパーティーを開き、GHQ検閲担当官を招き、そこに歌舞伎役者を呼ん

で「歌舞伎」を理解してもらう努力をしました。

それでも、なかなか理解してもらえず、彼は、副官の地位を捨てGHQを辞職。

歌舞伎復興へ専念したのでした。

その努力の甲斐があり、西暦1947年11月、すべての演目を復活させること

ができたのです。

最後の復活は、ご存じ「仮名手本忠臣蔵」。今でも大人気の演目です。

 

戦後、もし、彼がいなかったら、現在、こうして「歌舞伎」を楽しむことが

できなかったかもしれません。

「歌舞伎」の運命も今とは違っていたでしょう。

どんな時代にでも、国を越えて、「歌舞伎」を愛してくれた人によって支えら

れてきた「歌舞伎」です。

ヨーロッパで守られているオペラと同じように、私たちにとって守るべき伝統

芸能であることを忘れてはいけないのです。

守ることができたのは、愛してくれる人が支えていたから。

きっとそれは「歌舞伎」だけではなく、色々な事に通じることでしょう。

その気持ちをいつまでも忘れないよう、心に留めていたいですね。

愛する気持ちがあれば、守ることができることを。

 

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