日本古来の行事や文化、伝統、風物など 日常の中にそこはかとなく感じる「和の心」を |
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---------------------------------------------------------------------- ◇◆◇[将棋]◇◆◇ 人生において全く関わらないこともある「将棋」 でも、世界で似たようなゲームはいくつか知っていますよね・・・ ---------------------------------------------------------------------- テレビで注目されることの多い棋士。 「将棋」に興味がなくても「棋士」には詳しい・・・ことありませんか。 今回は、こんな歴史があったのね〜 「将棋」をお届けします。 「将棋」の発祥は、ギリシャ起源説・エジプト起源説・・・と色々な説がありましたが、 近年、紀元前 200年〜紀元前300年ころ、古代インドで遊ばれていたチャトランガとい う 4人制のサイコロ将棋ではないか・・・といわれています。 このインド発祥の話にこんなおとぎ話があります。 むかし、むかし、インドに戦争が大好きな王様がいました。王様はいつも戦争のことば かり考えていて、いつも戦っていたので、国民はみな疲れ切っておりました。ある日、 王様に隠れて大臣たちが集まり、どうしたら王様に戦争を止めさせられるか・・・と話 し合ったところ、一番若くて賢い大臣が「王様にゲームで戦争をしていただいたらいか がでしょう」と提案。王様に色々なゲームを作って差し上げたのでした。王様は特に駒 を使った戦争ゲームを大変お気に召し、だんだんとゲームに没頭するようになり、やが て、戦争はどうでもよくなり、国が平和になった・・・というお話です。 「将棋」は元々、戦争ゲームだったようですね。中国でも戦争シュミレーションゲーム として発達したとも考えられています。このチャトランガが西に伝わりチェスになり、 東に伝わり中国将棋(象棋:チャンチー)や日本将棋になり、世界各国に広まったので す。そして、現在「チェス」「象棋」「将棋」は、世界三大将棋と呼ばれています。 チャトランガ → http://www.kimono-maruya.com/mv/?104 日本にはいつ頃伝わったか・・・定説はありませんが、奈良時代、遣唐使であった吉備 真備(きびのまきび)が中国から持ち帰ったという説。タイ将棋に似ているところから インドを経て東南アジアから伝わった説が有力とされています。 タイ将棋 → http://www.kimono-maruya.com/mv/?105 象棋 → http://www.kimono-maruya.com/mv/?106 チェス → http://www.kimono-maruya.com/mv/?107 日本最古の「将棋」が、興福寺から出土され平安時代末期のものといわれていますので、 それ以前に伝わったと考えられます。また、日本の「将棋」を紹介した最古の文献「二 中歴」という書物も 11世紀末から12世紀前半に作られており、平安時代貴族の間で「将 棋」を楽しんでいたと考えられています。ただ、そのころ遊ばれていた「将棋」は、現 在のものと異なり、少し大きめだったようです。また、ルールも開いてから取った駒は 使えませんでした。 現在のような形になったのは 16世紀後半室町時代の終わりごろのこと。ルールが改正さ れ、現在のように相手から取った駒が使えるようになりました。背景には、戦国時代の 「昨日の敵は今日の友」という発想が受け入れられたから・・・といわれています。こ のルールは日本独自のルールで、世界からも関心を寄せられています。昔から、日本人 の中には敵に対しても暖かい心が流れていたのですね。世界から関心を寄せられるのも 納得です。世界がそうだったら、もっと平和になれるかもしれませんが・・・ 室町時代、日本独自のルールのもと、大きく発展をとげた「将棋」。このころから人気が 上昇していったそうです。そして、安土桃山時代には、名手「大橋宗桂(そうけい)」が 誕生します。大橋宗桂は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に仕え、特に六側家康は「疎 柚木」を愛好し、碁将棋所を設けたといいます。(その当時は以後も将棋も両方できるこ とが当たり前でした)西暦 1612年には「将棋所」が独立。宗桂が初代将棋所となり、プ ロの棋士第一号が誕生したのです。 やがて、「大橋本家」をはじめとする将棋の「家元」が現れました。また、八代将軍吉宗 の時代には、毎年 11月17日に御城将棋が開かれるほど盛んになっていました。 しかし、明治維新とともに家元制度も廃止。それにともなって「将棋」も衰退していっ たのでした。「将棋」の人気が再沸騰したのは、明治末のこと。「万朝報」という新聞に 「将棋」の欄を設けたことに端を発し、他社の新聞にも掲載され、人気が上昇。今日に 続いています。 日本の伝統芸能にも通じますが、時の将軍や大名によって支えられ、今日の地位を気づ いていたとは知りませんでした。どんな時代にも支える人がいてこそ、伝統や文化・・・ そしてスポーツに至るまで、続いていくものなのですね。日本独特に弱い私には、ご紹 介するしかできませんが・・・ ◇◆◇ [将棋]といえば何を思い出しますか ◇◆◇ 「将棋」といえば、小学校の頃、近所の男の子と夢中になって「将棋」をしたことを思 い出します。どんなきっかけだったのか・・・なんて全く覚えていないのですが、短期 間、集中して「将棋」を楽しんでいました。 「 将棋」とは、二人で行い、勝敗を競うゲーム。将棋を行うことを「将棋を指す(さす)」 といいますが、「将棋を打つ」とはいいません。また、将棋を指していることを「対局(た いきょく)」といいます。対戦することですね。将棋を一回指す事を「一局(いっきょく)」。 一戦交えるといったところでしょうか。ルールはご存知、二人が「盤」の上で交互に「駒」 を動かして、相手の「玉将(ぎょくしょう)」という駒を先に捕獲したほうが勝ち。「王 将」は敵の大将ということです。 将棋を指すのに必要なのは盤と駒。スポーツでいうと、盤は競技場、駒は選手の役割を します。盤には 9×9の升目が書かれており、升目の中に駒を置きます。駒は計40枚で、 開始時は各々 20枚ずつ持っています。 この駒、戦国時代の軍隊がモデルとなっているので、「将は王」「副官は金や銀」「歩兵や 戦車が飛車」「大砲は角行」「鉄砲が香車」「軍馬が桂馬」となっています。意味をじっく り考えたことがなかったのですが、なるほど、戦争ゲームであることがよくわかります。 戦争ゲームと考えてしまえばいいことなのかわかりませんが、小学校のころ「将棋」を 通じて「どうやったら勝てるか・・・」を学んだことはよかったように思えます。今も 「将棋ルール」を覚えていますか・・・ちょっと年数が経ちすぎて疑問ですが・・・
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